2022年12月18日

コロナ禍で淘汰された会社の飲み会


 当サイトを訪れるのは、管理者と同様に氷河期世代、
またはそれに近い世代、早期リタイア(を目指す)界わい
にいた名残でふだんから節約と資産運用をしている層と
いったところと思われる。
 そういう層からすれば、会社の飲み会など以前と変わ
らず金も時間も精神も浪費する絶対悪と言わんばかりの
ものであろう。なぜ会社の飲み会をそれほど毛嫌いする
のか、改めて考えてみることにする。

■出欠確認

 飲み会を開催するにあたり、事前に出欠確認を取り、
日程を決定するわけであるが、エクセルなどで作成した
その一覧表の最終列になぜか「備考」が設けられている
のである。
 そんなものが設けられているというその事実だけでも
すでにウンザリである。欠席する場合に理由を記述する
ためのものとして設けたのだろうが、おめおめと理由を
記述する気の小さい者たちもまた嘲笑ものなのである。

 職場によっては欠席と回答した者たちに対して幹事が
わざわざ直接理由を聞きに回るというケースも話に聞く。
そのケースに対する切り返しは「出席『する』人たちに
直接理由を聞いて回らないのですか」とでもすればよい。
 「マジョリティ(多数派)の無自覚なごう慢さ」の典型
例であり、個人主義者は日常生活で常に気をつけている
部分である。新型コロナワクチンを接種しないのも同じ
理屈であり、多数派は常に誤った選択をするものである。

■まずい、高い、体に悪い酒という飲み物

 単純に酒という飲み物をちっともうまいものだと思わ
ない。そこに回す金で、うまい食べ物のほうを食べたい
のである。おまけに体に悪いとまで来たもので、どこに
メリットがあるのかがさっぱりわからない。
 ビールは苦さを超えたところにうまさを感じるように
なると言われるが、管理者は苦いままで止まってそれを
超えようとも思わないまま20年以上が経過した。やはり
今後も超える必要性を感じない。

 これが20年前だと、「とりあえずビール」などという
のが平然とまかり通っていたが、さすがに現代ではなく
なっただけマシであろう。もっとも、昔であろうが自分
が飲みたくないものは注文しなかったものである。
 管理者は、「ビールをうまいと感じて飲めれば大人」
などというくだらん価値観に合わせるような性格はして
いないし、ブラックコーヒーやお茶すら飲まないタイプ
である。飲みたくないものは飲まない、それだけである。

■食べ物を残すのが当然という風潮

 食べ物を残して平然としている光景を見るのも、耐え
難いものである。あれも、何度も飲み会へ出席してその
光景を見ているうちに「飲み会とはそういうもんだ」と
いう感覚に陥って麻痺しているのだろう。
 管理者は食べ物の好き嫌いは多いほうであるが、自分
がよっぽど嫌いか食べられないもの以外は完食すること
は心がけている。しかし、連中は好き嫌いすら関係なく、
完食しようという気すら感じられないのである。

 陰謀追究の世界だけでなく、すでに「表」の世界でも
食糧難が来ると言われている一方、こうやって大量生産
と大量廃棄を行っている現実がある。そういう社会問題
にも無頓着であることがかいま見えるのである。

■つまらない話題

 今でこそ人の趣味が多様化した時代だから話題が偏ら
ないものの、管理者が社会人になりたての頃は男の話題
などすべてと言っていいくらい車か音楽の話題に偏って
いたものである。どちらも興味がないのである。
 管理者にとっては、車など移動手段というだけの存在
にすぎず、極力運転したくないとすら思っている。当時
の音楽など、どこかバブルの残り香がただようお花畑な
ものばかりであったであろう。

 日本の今は、WOW WOW WOW WOWとはほど遠いよなぁ?

■声を張り上げなければならないわずらわしさ

 人は酒が入るとふだんより声が大きくなり、居酒屋の
内部構造によってはほかの客からの声も加わりうるささ
に拍車がかかる。そんな中で会話をしなければならない
ので声を張り上げなければならなず、わずらわしい。
 あの場に順応し、しかもふだんではしないような超絶
でかい声でのバカ笑いができる神経をみじんも理解でき
ない。飲み会を嫌う人たちが共通して思っていると思わ
れるが、動物園のサルそのものである。

■コロナ禍で淘汰された飲み会

 そんなわずらわしい飲み会もコロナ禍できれいに淘汰
されたわけであり、清々している者も多いだろう。別に
コロナ単独では大した脅威ではないと気づいている者に
とっては、むしろコロナ様様であろう。
 これまで飲み会の場でバカ騒ぎをしてきたことを反省
する連中がどの程度いるかはわからないが、仮にコロナ
禍が明けたとしても、これまでの飲み会は不要であった
として、実施しないとする動きも出てくるだろう。

 そちらのほうが今後の潮流であり、それを理解できず
社員に無駄な負担を強いる飲み会を復活させたり、オン
ライン飲み会などというこざかしいことをしていると、
その組織や会社は世の中から淘汰されることとなる。

■まとめ

 管理者はコロナ単独では大した脅威ではないと感じて
いる以上、飲み会の出欠をコロナで判断することはない。
昔から一貫して、出席したくなければ出席しない、それ
だけの話である。
 たかが飲み会ではない。飲み会ひとつとっても、そこ
から社会問題をかいま見ることができるのである。誤っ
た協調性で他者を不快にし、そのことに無自覚な連中は、
今後の新時代では淘汰されていくこととなる。
posted by iceage at 21:27| Comment(0) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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