2024年04月01日

改めて問う氷河期世代問題 一次被害プラスα


 当ブログのタイトルやプロフィールにもあるとおり、
管理者は就職氷河期世代、その終盤期に就職した人間で
ある。その管理者が改めて氷河期世代問題について考え
てみることとする。
 就活時、イス取りゲームのイスが少なくそのイスさえ
電気イスであったとか、圧迫面接を食らったとか、就職
後も長時間労働、休日出勤が常態化し、パワハラ、自己
責任論などが横行していたとかは、周知の事実である。

 その手の情報は、当ブログであえて書かなくても調べ
ればいくらでも出てくるため扱わない。それらだけでも
十分深刻ではあるが、さらに深刻と思われる情報をここ
では扱うこととする。
 今回扱うのは、上記の一次被害だけでなくプラスαの
よけいな負の外部要因が存在しているという内容である。
二次被害が発生しているという事実、対策が困難である
という事実は次回以降扱うこととする。

■コミュニケーション能力とかいうものを求められた

 氷河期世代の後半組からが特に該当すると思われるが、
イス取りゲームのイスが少なくそのイスさえ電気イスで
あり、そのうえコミュニケーション能力とかいうものを
求められたのが、よけいな負の外部要因の1つ目である。
 コミュニケーション能力って何だ? どこぞの公的機関
や学問なりが明確に定義しているわけでもないだろうが。
人によって自分の中の定義が異なるにも関わらず、それ
があるだのないだの言っているのである。

 それに、コミュニケーション能力というものを当時も
今もほとんどの連中が馴れ合い力と勘違いし、コミュニ
ケーション能力という言葉だけで察しろと言わんばかり
の態度である。
 こんなものをコミュニケーション能力と定義されて特
に割を食うのは、勉強はできるが人付き合いに苦手意識
を持つ(情報を正しく入出力できるかどうかは無関係)人
たちである。

 つまり、子どものころから青春を犠牲にし、自己欺瞞
(ぎまん)じみた態度を強いられながら、よい高校、よい
大学へ行くために勉強をしてきたのに、就活時になって
突如としてルールが変更されていたのである。
 当時は未成年の凶悪犯罪がメディアで取り上げられ、
「キレる17歳」などという言葉も誕生し、詰め込み教育
では心が育たないからゆとり教育へシフトすべきという
論調であり、就活現場もそれに影響されたのであろう。

 実際の就活時でも就職後でも、そういう人たちに対し
て「勉強に逃げてきた頭でっかち」と吐き捨てていたの
である。では、勉強はほどほどにして人付き合いに力を
入れるべきだったかというと、自分はそうは思わない。
 むしろもっと勉強しておけばよかったと思っているし、
学校という、勉強外のイベントでくだらん協調性を強要
して消耗させてくる閉鎖空間のせいで、勉強をまともに
させてもらえなかったとすら思っているくらいである。

 コミュニケーション能力という言葉を使用することに
関する批判は別途記事にするとして、氷河期世代問題を
見ていても、なぜかコミュニケーション能力を強要する
ことに関する批判がまるでないのである。
 なぜなのかは不明であるが、いずれにしてもそうやっ
てコミュ力至上主義、明るさ至上主義でやってきて20年
経過し、今の詰みに詰みまくっている日本の惨状がもう
答えであろう。

■「上」が実施すべき「考える仕事」まで丸投げされた

 氷河期世代は就職後も長時間労働、休日出勤が常態化
し、そのうえ「上」が実施すべき「考える仕事」まで丸
投げされていたのが、よけいな負の外部要因の2つ目で
ある。
 不思議である。そもそも氷河期世代を採用時点で絞る
ほど人余りなはずなのに上記のような状態に陥るなど、
いったい既存の社員は今までこぞって何やってたんだと
いう話である。

 そもそも社会人1〜3年目くらいなら、指示された仕事
を確実にこなすことができるなら十分及第点であろう。
それとて長時間労働、休日出勤が常態化するほどの量を
こなしているのである。
 もっとも、その指示された仕事や作業マニュアルその
ものが、あいまいであったりロクに整備されていなかっ
たりしており、円滑な作業手順を踏めなかったり正しい
結果へ導かれなかったりするわけである。

 滞りなく作業できる環境を整えるのが「上」の仕事で
あるにも関わらず、それすら丸投げするのである。それ
だけではなく、思慮の足らないその場限りの思いつき、
朝令暮改、果ては指示したことすら忘れる始末である。
 そもそも作業が滞る要因に「考えて」気づくことすら
できず、自称「現場主義」で「臨機応変」に対処すると
ほざいているのである。通常は標準化できる部分は標準
化して、不測の事態に対してのみ対処するものである。

 標準化できる部分に気づかない、気づかないから「何
かないか」と下へ丸投げする、たとえ気づいたとしても
放置する、たとえ放置しなかったとしても「下」へ対処
を丸投げする。いずれにしても、「上」は何もしない。
 その「考える」頭がない「上」の指示したままに動い
て正しい結果を出せないのも地獄、標準化できる部分に
気づけてしまうために自身が対処せざるを得なくなり、
よけいな仕事で疲弊するのもまた地獄である。

 一方で、作業マニュアルの整備、エクセルなどで作成
するフォーマットやプログラミング言語などで作成する
自動化ツールの導入をしたらしたで、それらがすべてを
解決すると勘違いする輩も後を絶たない。
 それらを利用することによる不測の事態が発生したら
「言われたとおりやった」と平然と口にするのである。
その部分こそ本当の意味で人の手によって「臨機応変」
に対応する部分であることがわからないのである。

 こういう便利な道具に、不測の事態への対処まで組み
込んでしまったら、その複雑なものを組み込むコストも
かさみ、その後の維持管理するコストもかさむ。通常は
道具の特性を理解し、人の運用で工夫するものである。
 既存の社員はこういう円滑な仕事環境を整備しておき、
新人に「考える仕事」をする余地を与えるなど組織の恥
と本来なら心得るべきである。ましてや「考える仕事」
を丸投げするなどもってのほかである。

■まとめ

 氷河期世代問題というのは巷(ちまた)で言われている
ような内容だけではなく、コミュニケーション能力とか
いうものを求められたり、「上」が実施すべき「考える
仕事」まで丸投げされた点がよけいなのである。
 特にコミュニケーション能力に関しては、ただでさえ
就活時になって突如厳しい環境へ放り出された中でさら
に予想外の方向へルールをねじ曲げられたということで、
対処に苦しんだ者は決して少なくないだろう。

 こんな内容さえ、まだ一次被害によけいなプラスαが
存在するという序章にすぎないのである。こんな状況が
一過性のものならともかく、これが長期にわたり慢性化
するとどうなるのか、次回は二次被害について解説する。
posted by iceage at 20:58| Comment(0) | 氷河期世代問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする