2022年08月17日

陰謀論との向き合い方


 「世間様」の間では事実無根の事象という意味合いで
使われる「陰謀論」という言葉をあえて使わせてもらう
が、その向き合い方について説明していく。結論として
は、向き合ったほうが身のためであるという内容となる。

■「信じる=知識を吸収する」とひもづける愚かしさ

 現在進行中の陰謀論である新型コロナワクチン、その
前から同時に開始した新型コロナウイルスと5G、途中に
アメリカ大統領選挙での不正選挙もあり、気づく場面は
近年だけでもいくらでもあったはずである。
 にも関わらず国民の8割がワクチンを2回以上打ったと
いう事実から、本当に気づかなかったか、または気づい
ても見て見ぬふりをしたか甘く見ていたと結論づけざる
を得ないのである。

 こうなる理由は、陰謀論を信じることとそれを知識と
して吸収することをひもづけていることがすべてと言っ
ても過言ではない。陰謀論を信じないからそれを知識と
して吸収することはないという流れになるのである。
 そうではない。別に陰謀論を信じようが信じまいが、
知識として吸収することは可能である。信じるから知識
として吸収するというのも違う。まずはこのひもづけを
切り離さないことには始まらないのである。

■自分が被害を被る選択を避けるというだけ

 信じる、信じないではなく、ただそういう情報を吸収
しておくだけであり、その真偽を無理に判断する必要は
ないのである。しかし、陰謀論という言い方をしている
以上、なぜか根拠もなく「偽」と判断する不思議である。
 そもそもその情報が明白に真偽を判定できる「命題」
であるとも限らず、むしろそうでない場合のほうが多い
のである。「命題」ですらないその事象は、情報を吸収
しておき、「保留」にしておくのである。

 過去の歴史を見る限り、戦争が終わりかけるか終わっ
た後にこういう情報が暴露され、史実として認定される
のである。もっとも、この国が今は戦争中であるという
認識も、ほとんどの国民はしていないと思われるが…。
 今は「保留」とはいえ、もしそれが真である場合、偽
である場合をそれぞれ想像してみるのである。偽である
場合は単に取り越し苦労というだけであるが、真である
場合は甚大な被害を被ることになりかねない場合が多い。

 「コロナワクチンは危険である」「5Gは危険である」
は陰謀論(偽)であると高をくくり、真である場合を想像
しないことの恐ろしさである。まして、5Gがワクチンに
よる健康被害を増幅させる想像まですべきところである。
 何度も言うように、陰謀論を信じる、信じないという
概念を持ち出しているのではなく、単純に自分が被害を
被らないためには何をすべきか、しないべきかを考えて
いるだけのことである。

■まとめ

・陰謀論を信じようが信じまいがそれを知識として吸収
することは可能である。それを信じることと知識として
吸収することがひもづいているからおかしなことになる。

・陰謀論がもし真である場合は甚大な被害を被る可能性
がある。知識として吸収するのは、そういう被害を被り
たくないからというだけである。
posted by iceage at 22:26| 陰謀追究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする