2016年04月03日

ひきこもりは親の責任


 以前放送のTVタックルでは、ひきこもりに
ついて取り扱っていましたが、管理者のこれ
に対する結論は、以前から変わらず親の責任
だと思っています。
 話は簡単で、本来なら親になる資格のない
者が、身分不相応に子供を作るからこういう
事態を引き起こしているだけです。

■金さえあれば解決する問題

 そもそも、ひきこもりの何が問題なのか、
管理者にはさっぱり理解できないんですけど
ね。

・ いい年こいた大人が親から自立できずに
 いるから?
・ ひきこもりを生み出したということで、
 親の世間体が悪いから?
・ 親の収入源を食い潰されて、家族の生活
 が困窮するから?
・ 親の死後、子供の人生が不安だから?
・ これらを悲観して、最悪殺人事件に発展
 しかねないから?

 これらのことは、すべて家族内で完結する
ことであり、社会全体として問題視すること
ではないと思いますが…。

 仮に問題だとしても、すべては親に金さえ
あれば解決することです。
 金さえあれば、子供がひきこもりになった
としても、その事実を受け入れて養っていけ
ばよく、配当金で生活できる状態にしておけ
ば、親の死後も何も問題ないはずです。

■親が果たすべき義務

 さて、管理者は親が子供に果たすべき義務
を下記のように考えています。

1) 健康で文化的な最低限度の生活を、子供
 が社会人になるまで保障する。
2) 1)の期間中に、自立に必要な知識、考え
 方を「自己否定感を植え付けることなく」
 身に付けさせる。

 どうでしょうか? 自分の肌感覚では、上記
の役割を果たそうとしている親などほとんど
いないように思いますが…。
 自己否定感を植え付けない、というのは、
ひきこもりを生まないためにはかなり重要な
ことだと思いますが、ほとんどの親がそんな
ことは考えずに教育していると思います。

 多少の自己否定感を植え付けてしまっても、
自立に必要な知識、考え方がちゃんと社会で
通用するのであればまだよいですが、それが
通用しないときが絶望的になるわけです。
 親の世代では、それが通用したのかもしれ
ませんが、子供の世代では、それがほとんど
通用しなくなったからこそ、今こうしてひき
こもりが問題になっているわけです。

■集団主義思想から生まれ、その環境で育つ子供

 前節で挙げた、親が子供に果たすべき義務
を考慮すると、管理者は子供を作ろうという
気にはなれません。自分の力が及ばず、子供
が不幸になることは目に見えていますからね。

 しかし、自分の親世代はどうでしょうか?
結婚するのが当たり前、子供を2人以上作る
のが当たり前、自分の世代では1人っ子など
少数派でしたからね。
 そういう世間の「空気」に従って、本来は
子供を作る資格のない者がロクに考えもせず
惰性で子供を作ったようにしか思えません。

 自身が仕事を通じて特別成長しているわけ
でもないのに、毎年昇給するのが当たり前の
環境で、それが自分の人間的な価値であると
勘違いしているという部分もあるでしょう。
 これらのことをわかっていない未熟者が、
仕事で身分不相応の報酬を得て、身分不相応
に子供を作った結果、自己否定感を抱きつつ
ひきこもる子供が現代に量産されたわけです。

 そして、教育の実態はどうでしょうか?

・ 子供を保育園へ預けるのが当たり前
・ 子供が休まずに学校へ行くのは当たり前
・ 学校が子供のしつけも教えるのが当たり
 前
・ 入試対策は塾、予備校に任せて金で解決
 するのが当たり前
・ 大学は、奨学金という名の借金を子供に
 背負わせて通わせるのが当たり前

 何か勘違いをしてませんか? 子供の教育と
いうのは、あくまで親が責任を持って行うの
が当然であり、外部の教育機関は、あくまで
その補助的な役割のはずです。
 外部の教育機関がまったく頼りにならない
のであれば、自身で何とかするしかないはず
です。

 自身で解決しようとせず、金で解決しよう
とし、最悪金さえ払わない姿を見せることが、
子供の教育上本当によいとでも思っているの
でしょうか?
 挙句の果てには、「高い金を払っているの
だから、しっかり勉強しろ」と言わんばかり
の態度を取る親もいるのだから、あきれて物
も言えません。

 さらに子供にとって不幸なことに、いい年
こいた大人が親のすねをかじるのは親不孝、
という「常識」が世間ではまかり通っている
わけです。
 自身で教育しようとせず、外部にすべてを
押し付けて金で解決しようとしている親たち
が、この「常識」を免罪符にして自身の責任
を子供に転嫁しているわけです。

 こんな環境では、子供がひきこもりになら
ないことの方が奇跡で、ひきこもり、または
その予備軍になるのは当然であると思います。

■まとめ

 管理者の子供に対する考え方は、世間様の
「常識」と比較すると甘いですか? 自分では
そうは思いません。子供を作るということは
そんなに軽いことなのでしょうか?
 これを甘いと感じているようだと、甘いの
はあなたの考え方の方だと思います。そして、
その考え方は子供が大人になったときに必ず
見透かされ、恨まれることでしょう。

 管理者は、ひきこもりの何が問題なのかが
やはり理解できませんし、これを問題視する
方々は、これが発生する社会状況が問題だと
いう考えに至っているのでしょうか?
 とてもそうは思えませんし、悲しいかな、
そういう者たちの方がむしろ、身分不相応に
子供を作ってしまうわけです。

 ひきこもりが問題なのではなく、そのこと
を理解できる頭もないくせに、身分不相応に
子供を作ることが問題なのです。
posted by dark_matter at 18:00| Comment(2) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

卒業式という名の茶番行事


 現在は卒業式シーズンになるわけですが、
ひねくれ者の管理者は、やはりこれに対して
イチャモンをつけたくなってしまうわけです。
 やはり世間一般の多数派の方々は、卒業式
というものに対して「今となってはいい思い
出」ととらえているのでしょうか? そうだと
したら、管理者は非常に戦慄を覚えます。

 結論から言うと、大学や高校の卒業式は、
練習なし、または1〜2回程度の練習で本番に
望み、式の内容自体もある程度合理的に進行
しているので、問題視していません。
 問題は中学、小学の卒業式です。あのバカ
みたいに無駄に繰り返される練習と式の進行
の不合理さです。

■やはりマスゲーム

 どうも学校という組織は、ことごとくマス
ゲームというものが好きらしいですね。その
内容を挙げていきましょうか。

・ 入場行進で列や手足の動きを乱したりし
 てはならない。
・ 着席時の姿勢も決まっていて、少したり
 とも動いてはならない。
・ 起立、着席のタイミングが全員そろって
 いなければならない。さらに、卒業生起立、
 在校生起立、生徒起立を聞き分け、間違え
 てはならない。
・ 卒業証書の受け取りで起立してから檀上
 で受け取るまでの一連の行動のタイミング
 を守らなければならない。
  名前を呼ばれたら、絶叫するほど大きな
 声で返事をしなければならない。
・ 国歌、校歌、卒業の歌を、絶叫するほど
 大きな声で歌い、かつ全員そろえなければ
 ならない。
e.t.c.

 これらのことをすべてできるまであのクソ
寒い体育館の中で、連日延々練習を「させら
れる」わけです。
 その目的は、教師が生徒を統制できている
ことを保護者、教育関係のお偉いさんに見せ
つけることです。実際に、これで教師の査定
が決まるなんていう話もあるようですしね。

 本来、卒業式の主役は卒業生であることは
言うまでもない事実ですが、卒業生にとって
何のメリットもないことを、教師の自己満足
のために練習させられるわけです。
 これではどちらが主役だかわかったもので
はありません。

■卒業式で泣く者たち

 管理者が一生理解できず、かつ一生わかり
あえることのないのが、卒業式で泣く者たち
です。
 あんなくだらない練習を散々やらされたの
では本番の卒業式など、もはや茶番、感動も
薄れているだろうに、よく泣けるなあと思い
ます。

 卒業式で泣くということは、それだけ学校
生活が楽しかったということでしょうね。
 しかし、小中の学校生活の楽しさというの
は、ほとんどが誰かの犠牲のもとに成り立っ
ているものです。

 そんな鈍感で「普通」の者たちの方が世間
では好かれ、普通に結婚し、子供を作るわけ
です。
 このように、(おそらくは)小中の卒業式の
あり方に何の疑問を持たずに、思い出を美化
できる者たちが子供を作ることに、管理者は
戦慄を覚えるわけです。

 まさに、国民に集団主義思想を植えつけ、
論理的思考力を奪い、社畜を量産したい方々
の思うつぼです。

■まとめ

 ではどうすればいいかなど、非常に簡単な
ことで、大学、高校の卒業式と同様に、中学、
小学の卒業式も、練習をほとんどせず、かつ
式も合理的に進行すればいいだけの話です。
 あんなくだらない練習で時間を浪費するの
であれば、その分授業時間を増やすか、休み
を増やすかした方が有意義なのは明白です。

 当ブログに中学生がたどり着くことはない
かもしれませんが、楽しくない中学校生活を
送った方、卒業おめでとうございます。
 もうあなたに理不尽を振りかざすクズ生徒
も、授業態度が悪いからと評定を落とすクズ
教師も、ストレスのはけ口として罵声を浴び
せる部活のクズ顧問もいなくなります。

 今後の人生でも「誰とでも仲良くしよう」
とほざく頭の悪い大人には腐るほど出くわす
と思いますが、そんな意見を聞き入れる必要
はありません。
 あなたはあなたらしくしていればよいです。
そして、将来はとにかく金を貯めましょう。
莫大な金を持つことが、自分にとって不要と
思う人間関係を断ち切る手助けとなります。
posted by dark_matter at 18:00| Comment(2) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

文系教科に見る世間様の傲慢さ


 早期リタイアを目指す理由 8つ目の記事の
中で、文系教科の勉強は後に何も残らないと
いうだけでなく、さらに気に入らないことが
あるということを説明しました。
 それが、今回の表題にあるとおりなのです
が、どういうことか説明していきたいと思い
ます。

 さて問題です。戦後の歴代総理大臣(33人)
を覚えることと、乃木坂46のメンバー(37人)
を覚えることに違いを見出せるでしょうか?
後者の方が人数が多少多いことを除きます。

 理系脳の管理者からすれば、覚える手間は
ほとんど同じ、覚えたところで役に立たない
知識であるという点も同じことから、両者に
まったく違いを見出せません。
 しかし、文系脳の人間は、前者を覚えれば
勉強熱心だと感じ、後者を覚えればアイドル
なんぞにうつつを抜かすうつけ者と感じるの
です。

 前者を覚える方が偉いと本気で思っている
方で、子供をお持ちの方は、子供にその理由
をちゃんと説明できますかね? 管理者は子供
はいませんが、いたとしても無理ですね。
 文系教科に興味があって自発的に勉強する
のであれば別ですが、もし文系教科の勉強に
苦痛を感じているようであれば、理系教科の
勉強に時間を割り当てさせるでしょう。

 文系教科に限らずこの手の暗記物は、その
人がどの対象に興味があってそれを覚えよう
とするのかが違うだけであって、対象に優劣
はない、と管理者は考えています。
 無条件に文系教科の勉強を受け入れること
よりも、こういう考え方を身に付けることの
方がはるかに重要であり、理不尽な価値観を
他者に振りかざさないという点でも重要です。

 さて、管理者は、文系教科を勉強すること
にいっさい価値がないと考えているわけでは
ありません。
 これを勉強する意義というのは、子供の頃
から今に至るまで、頭の悪い人間と腐るほど
接触し、理不尽な環境下に置かれているうち
に理解しました。

・ 過去の時代背景やそれに応じた政治手法
 を見てどういう失敗をしてきたのかを学び、
 現在の所属組織にフィードバックする。
・ 日本では当たり前の価値観が、世界では
 当たり前ではないこともあるということを
 学び、差別的な価値観を振りかざすことが
 ないようにする。
・ 自分が置かれている環境を理解し、政治
 がおかしな方向に向かないように監視する
 ことによって、理不尽な環境下に置かれる
 ことがないようにする。
e.t.c.

といったところでしょうか。これらは管理者
の見解ですが、おおむね正しいと考えます。
 しかし、国はこれらのことを公にすること
は決してしないでしょう。当ブログで何度も
指摘しているとおり、国は大きな政府を作っ
て私腹を肥やしたいからです。

 もっとも、文系教科を勉強する意義を知っ
たところで、あんなものに莫大な時間と労力
を使うのなら理系教科の勉強に割り当てた方
がよいという考え方に変わりはありません。
 結局、論理的思考力を身に付けることの方
がはるかに重要であり、これを身に付ければ
文系教科を勉強する意義も導き出せるので、
莫大な時間と労力を使う必要などないのです。

 氷河期世代に生まれた管理者は、今の世の
中、理不尽なことがあまりにも多く、理不尽
を振りかざすクズがあまりにも多いと感じて
います。
 それは、乃木坂46のメンバーを覚えるより
戦後の歴代総理大臣を覚える方が偉いと本気
で思っている傲慢で頭の悪い奴が、民主主義
の大勢を占めているからにほかなりません。

 趣味で何かを暗記するより文系教科で暗記
する方が偉いと考えた結果が今の世の中です
か…。これでは文系教科はクソの役にも立た
ないと言われても仕方ありませんね。
 心の底からこう思います。文系を選ばなく
てよかった、と。


posted by dark_matter at 18:00| Comment(0) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

周囲を疲弊させる社畜用語


 管理者は社会人になってから十数年になる
のですが、この先一生合意できないであろう
ものがあります。それはビジネス用語を乱用
するということです。

 基本的に、その手の用語を使用する目的は
文字列の大幅な圧縮のはずですが、ビジネス
用語の中にはその目的を果たせていないもの
があまりにも多いと感じています。

http://liginc.co.jp/life/business/85739

 上記を見ればわかるでしょう。結局、用語
の意味を見ると、一言で済んでしまっている
ものが多いことを…。
 であれば、わかりにくい横文字にわざわざ
変換せずに、素直に日本語を使えばよいこと
です。

 しかし、意識高い系で仕事好きな人間ほど
こういうのを使用して仕事をしている自分に
酔っている感があるんですよね。仕事が嫌い
な自分には一生理解できない感覚です。

・ 不要なビジネス用語の使用によって、後
 から入ってきた経験の浅い社会人は、不要
 な知識をつけなければならない。
・ そういう知識をつけなければならないと
 いう組織の体質そのものに嫌気がさす。

という二重の意味で、後から入ってきた者を
疲弊させているということにも気づかないの
でしょう。

・仕事が好きで当たり前
・新人が専門用語を覚えるのは当たり前

という感覚になっていることに無自覚である
から、自分でそういう体質を正そうと考える
ことは決してないので始末に負えません。

 結局、世間一般で言われている協調性とか
コミュニケーション能力とかは、

・少数派が多数派に
・頭のよい者が頭の悪い者に

「一方的に」ペースを合わせる能力であると
いう典型例です。

 こんなものは、ビジネス用語などと呼ぶの
ではなく、社畜用語と名称を変更すべきです。

 こういう社畜用語だけでなく、自分の所属
する組織内でしか使用されていない、しかも
一般的な言葉に置き換えることができる用語
もあったりします。
 管理者は、かつて組織の管理的な立場にい
たとき、そういう用語を一般的な用語に置き
換えることを、あえて理由を説明せずに指示
したことがあります。

 いるんですよねぇ、こういう考え方に反発
してくる奴がちらほらと。しかも、おそらく
最近知ったであろうデファクトスタンダード
という言葉を持ち出して…。

・ こういう用語は後から入ってきた新人に
 やさしくない。
・ よその部署とやり取りするときに、こう
 いう用語を使用して通じるはずがないし、
 そのことに無自覚な点も問題である。
・ そのデファクトスタンダードという名の
 「空気読み」を嫌ってこういう指示を出し
 ている。
・ オレはお前より判断力と論理的思考力が
 優れているからこの立場にいる。上司命令
 は基本絶対である。

 こういうこちらの意図を察することができ
ない奴には、本当にうんざりしましたね。
 まあ管理者のことが嫌いだったんでしょう。
何を言ったかよりも誰が言ったかに反応する
ような奴は今後の成長も見込めないし、早々
に見限っていましたが…。

 まとめると、

・ 社畜用語や村内用語を当たり前のように
 使用している者に未来はない。
・ これらの使用によって、組織の生産性を
 下げるどころか、使用者の顔を見るのも嫌
 なほど嫌われている可能性がある。
・ 仕事が嫌いだからこそ組織に配慮できる
 ことがあり、むしろその方が組織の生産性
 を高める可能性さえあり得る。

ということです。

 最後に、お前も投資用語使ってんじゃねぇ
かという反論はやめていただきたい。これは
仕事じゃねぇし、孤独にやっていることだし、
何よりこのブログは自己満足だし…。


posted by dark_matter at 18:00| Comment(0) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月04日

労働が無条件で尊いと考える愚


 世間一般のくだらない現実へ迎合成長した
大人は、早期リタイアを実現した者を

「あいつはいい歳こいて働かずにプラプラし
やがって。」

という見方をするが、それは集団主義思想が
前提にあり、環境の変化によってその主張は
簡単に覆ることを、前回説明しました。

 しかし、この主張は集団主義という概念を
持ち出さなくても、大きな間違いがあります。
 彼らは、そういう者たちが職にさえ就けて
本人にやる気さえあれば、確実によい結果を
生み出すとでも思っているのでしょうか?

 最初にマニュアルを覚えて、あとは手さえ
動かせば確実に前進する業務ならそれは当て
はまりますが、基本的にそういう業務ばかり
ではないでしょう。
 何か問題が発生したり、あいまいな業務が
発生したとき、当然進捗は停止するのでそれ
をいかに迅速に対応して進捗を再開するか、
という能力も必要となってきます。

 そもそも自分の業務が本当に世の中や会社
に貢献する内容かということを考えたことが
あるのでしょうか?
 無駄にコストばかりかかって成果は少ない、
または、ゼロであったり、最悪の場合、犯罪
に手を染めているかもしれません。

 世の中には、問題解決力や分析力が必要な
業務もあるし、その業務をこなせない人材も
います。本来なら不要な業務もあるし、不要
どころが害悪な業務もあります。
 労働が無条件で尊いとするくだらない倫理
観を保つために、無能な人材を教育したり、
不要な業務を無理やり作り出したりする行為
が、本当に正しいでしょうか?

 それに、この主張を持つ方々が仮に人事権
を持っていたとして、経歴に空白期間を持つ
者を本当に採用するでしょうか? とてもそう
は思えません。
 結局は「働け」と尻を叩くだけで、就職先
をどう見つけるかは自分で「考えろ」なので、
まさに言うは易しで、無責任の極みです。

 この主張をできる方々というのは例外なく
恵まれた環境にいると考えてよいでしょう。
 なぜなら、こんな主張をできちゃうほど頭
が悪いくせに、職にありつけちゃって給与を
もらえちゃっている身分だからです。まあ、
周囲の人間は迷惑しているでしょうけどね。

 そういうわけで、成長していない自分は、
くだらない現実へ迎合成長している人たちの
足手まといにならないように、なるべく早く
早期リタイアしようと思います。
 労働が無条件で尊いと考える方々は、死ぬ
までせいぜいお仕事がんばってください。


posted by dark_matter at 18:00| Comment(0) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする