2014年06月15日

運動会というくだらない行事 前編


 前回の記事で、運動会の組体操は、

・ 命に係わる危険をはらんでいること
・ 現場はフィードバックする気がないこと
・ 組体操を行う目的がクズであること

を理由に、廃止に賛成であることを表明しま
した。

 しかし、当ブログの常連の方々ならご存知
のとおり、集団主義が大嫌いな管理者の意見
がこの程度でとどまるはずもありません。
 組体操だけでなく、運動会や体育祭といっ
たくだらない行事自体、やめるか自由参加に
した方がよいと考えます。

 前回の記事でも書いた、

・ 教師が生徒を統制できていることを保護
 者に見せつけること
・ 保護者が運動会の醍醐味を味わうこと

というくだらない大人のエゴを目的とする点
が、運動会自体にも当てはまるからです。
 これらの点を特に感じるのが、入場行進、
ラジオ体操、応援といったところでしょうか。

 入場行進は教師の笛の指示によって始まり、
教師の次の笛の指示によって終わるわけです
が、終始足並みをそろえなければなりません。
 これを行う理由がどう考えても上記の大人
のエゴ以外に思いつかず、生徒にとっては何
のメリットもありません。

 ラジオ体操は「振り付け」を正確にしなけ
ればならず、体操の陣形に開くのも元に戻る
のも正確、かつ迅速にしなければなりません。
 ラジオ体操、というか準備運動は、ケガの
防止が目的のはずですが、ラジオ体操にその
効果があるかどうかは甚だ疑問です。これは
手段と目的が入れ替わっている典型例です。

 応援はご丁寧にもそのやり方が用意されて
いて、そのやり方に沿って行い、かつ大声を
張り上げなければなりません。
 応援は本来、心を込めて自発的に行うから
こそ、される側の心に響くものだと思います
が、強制力の働いた応援が、される側の心に
響くとは思えません。

 入場行進、ラジオ体操、応援のいずれも、
大人のエゴを満たすためのマスゲームと化し
ているわけです。
 これらは、本来の目的からすれば練習など
必要ないはずですが、マスゲームゆえに練習
を強いられ、不毛に時間と神経と体力を浪費
させられるものとなっています。

 教師は生徒に対して、これらをできること
による達成感や一体感などを味わってほしい
と「表向きは」思っているのかもしれません。
 周囲がどう思っていたのかは知りませんが、
少なくとも管理者は、このくだらない茶番を
さっさと終わらせたいという考えしかありま
せんでした。

 結局、このくだらないマスゲームをこなす
ことによって何かを得られるわけでも何かが
身に付くわけでもありません。かの国を笑え
ないくだらない現実がそこにあるだけです。

 その他、運動会嫌いを助長するものに関し
ては後編で説明したいと思います。


posted by dark_matter at 18:00| Comment(2) | 個人主義と集団主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
苦労することが美徳とされる日本社会
それがここにも現れていますよね
Posted by トト at 2014年08月03日 00:15
 トトさんはじめまして。

 おっしゃるとおりです。
 そういう日本社会である方が得をする方々
が、そうなるように子供の頃から意識を植え
つけようとしているのでしょう。
Posted by dark_matter at 2014年08月03日 22:16
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